先輩移住者の声

奥平洋士さん(1986年生まれ) 

奥平洋士さん (1986年生まれ)

移住時期:2012年

職業
移住前:トラック運転手⇒移住後:神石牛の牛飼い
住まい
2012年兵庫県姫路市内から油木の町営住宅
家族構成
奥さんの洋子さんとやんちゃ盛りの男の子二人の四人暮らし
奥平洋士さん(1986年生まれ) 

兵庫県では大型トラックの運転手をしていた奥平さん。配達先に荷物を運ぶ変わり映えしない日々を脱却すべく、何と26歳で変化を求め全くの別世界に飛び込むことに。
24歳の時に結婚した奥さんの実家が神石高原町で神石牛の畜産農家をされていた事もあって、心機一転学生時代に野球で培った「やればできる!」の根性で神石高原町での畜産へのチャレンジを決意。

若牛会のメンバーと花見の時に記念撮影

最初の二年間は奥さんの実家の紹介で全国農業協同組合連合会(以下「全農」という。)に入り発情発見から分娩を行う繁殖を勉強し、そこで牛飼いのイロハを学ぶことからスタート。また全農以外では、神石高原町の若い牛飼いが集まった「若牛会」(非公認)の先輩たちからも全農では学べないような牛飼いの事業主としてのノウハウや苦労も色々と教えてもらうなど、同世代ならではの助け合いや持ちつ持たれつのいい関係を築けたとか。今では奥平さんも「若牛会」の中堅どころになり、先輩たちから学ばせてもらったように、今後後輩たちに伝えることで、若手の牛飼い仲間と頑張っていきたいと意気込む。

奥平さんのように別業界から転職就業するのはレアケースで、多くは地元出身で地元の油木高校卒業後に農業大学などに進学し、神石高原町に帰ってきて就業するパターンがほとんど。そんな地元出身の若手とも切磋琢磨しながら、日々牛と向き合う生活は非常に充実しているという。

そんな充実した牛飼い生活を神石高原町で送る奥平さんは、就業の助成金や農水省からの自分の助成金を上手に利用し新しい牛舎を建て本格的に神石牛の繁殖をスタート。牛も順調に増やして今では20頭を超えるほどに。
そんな奥平さんの自慢は、大好きな本職の牛飼いで頑張り、仕事でも使える大好きなトラックを買えたこと。さすが元トラックドライバーだけにトラックへの愛情も半端じゃありません。お子さんもお父さんのキラキラの愛車を前に誇らしげです。

家庭の方も前職時代に社会人野球をやっていたことから知り合った奥さんの洋子さんとの間に二人の男の子を授かり、明るい家庭を築く奥平さん。今年は念願のマイホームを建てることができ、長らく住んだ町営住宅からの引っ越しも実現できるとか。神石高原町は独自の補助金や五年間の固定資産税の減免等、制度が充実していてフル活用すればお得にマイホームを建てることができると奥平さん。牛舎だけにとどまらずマイホームでも制度をうまく活用する賢さは、まさに素晴らしいの一言。
そして2018年夏、待望のマイホームが完成。大きなロフトを有するこだわりの家は、子ども達のはしゃぎ声が心地よく響き渡るらしい。

異業種から転職してきた奥平さんは「牛に振り回される人生は嫌だ!」と昔のやり方とは一線を画した牛飼いを目指す。信頼できる人に仕事を頼み、休みを作って子ども達と遊びに出かけられるように、作業負担が少なく効率的に作業ができるような牛舎を設計するなど、創意工夫も欠かさない。

二人の息子さんは、奥平さんの知恵の詰まった牛舎を遊び場に駆け回って遊ぶ。奥さんも「この神石高原町の自然が好き!」と言ってやまない。安心して自然を遊び場にできる子育て環境。二人の遊ぶ姿を見ていたら、現代の都会っ子が得ることができない体験や感覚を神石高原町の子ども達は、小さい頃から当たり前のように享受できることは究極の贅沢なのだと思わざるを得ない。
しかし奥平さんは、そんな自然児の二人の息子さんに牛飼いを継がせようとは思っていないようだ。「自分がやりたいと思えばやればいいけど、親の稼業だからと言って継がせる気はない!」自分が自らやりたい仕事を切り開いていったように、息子達にも自分で人生を切り開くことを願ってるように感じた。

奥平さんの今後の夢を聞くと「今の規模をもう少し拡大したい!」と。ここまで順調に歩んできた奥平さんなら難なく実現しそうだ。MさんやK介さんたちを筆頭に「若牛会」の仲間達とともに神石牛の発展に寄与する主力メンバーとして、今後活躍する人材であることは間違いない。

奥平さんのような別業界からの転職移住者が増えることが、神石高原町の発展の源になると確信できたインタビューとなりました。