先輩移住者の声

池田 瑛一さん (1996年生まれ)/ 藤岡 咲季さん (1996年生まれ)

池田 瑛一 / 咲季 さん

移住時期:2024年

職業
瑛一さん
移住前:都内の大手金融会社に勤務。⇒移住後:株式会社MSERRNTでマネージャーとして新規事業の立ち上げや運営に携わる

咲季さん
移住前:東京の外資系コンサルティング会社勤務。⇒移住後:株式会社MSERRNTで自社ブランド牛「丹下牛(神石牛)」の血統・エサなどの研究、6次産業化などを担当
住まい
会社所有の一戸建て社宅を賃貸
家族構成
夫婦二人暮らし
池田 瑛一さん (1996年生まれ)/ 藤岡 咲季さん (1996年生まれ)

まちおこしの会社に惹かれ、夫婦で転職&移住

東京からIターン移住した池田瑛一さん、咲季さん夫婦。移住のきっかけは、神石高原町に拠点を置く株式会社MSERRNTへの転職でした。地域課題の解決に向けて次々と新規事業を立ち上げている同社に惹かれ、咲季さんがエントリー。現地での面接に同行した瑛一さんも、会社の考え方やチャレンジできる環境、高い給与水準に魅力を感じ、その場で自身も選考を希望したといいます。

初めて神石高原町を訪れたのは202312月。「木々は枯れていて、とにかく寒くて…。会社の近くにはお店もなく、正直、少し不安もありました」と瑛一さん。しかし、大型商業施設をはじめ個人店も多く集まる福山市神辺町までは車で約30分と知り、「思っていたよりは生活しやすいのかもしれない」と感じたそうです。

入社後、咲季さんはブランド牛「神石牛」のなかでも、自社肥育から一気通貫の6次産業を行う「丹下牛」を、”世界で一番美味しい和牛”とするための、血統やエサなどの研究、肥育農家さんとの連携を担当。瑛一さんは地域産品のEC事業をはじめ、産婦人科クリニックやホテル、キャンプ場といった、新規事業立ち上げのプロジェクト推進を行っています。多彩な地域活性化プロジェクトに打ち込んでいる二人。「前例のない事業を興すために自分たちで考え、挑戦を積み重ねていくことにやりがいを感じます」と声をそろえます。

縁もゆかりもないのに、孤独を感じないまち

1泊2日の面接と視察。そこで出会った人々の優しさと温かさに、二人は背中を押されたといいます。「会う人みんなが『何でもサポートするよ』と言ってくださって。東京とは全然違うなと感じました」と咲季さん。

移住後もその印象は変わりません。移住後、二人は地域のイベントやゴルフなど、声がかかれば積極的に参加。「草刈りに行ったら『できるんか~?』と面白がってもらって(笑)。都会から来た私たちも、すぐに溶け込むことができました」。

「友達がいないまちに来たのに、孤独を感じない」と瑛一さん。「祭りに行けば顔見知りがいる。誰かの家に招かれて食卓を囲む。人との距離が近いのが苦手な人にとっては息苦しく感じるかもしれませんが、地域に密着した暮らしがしてみたかった僕には理想の環境です」。移住者同士のコミュニティというものは特になく、「“神石高原町に暮らす人たち”とつながっていく感覚ですね」と話します。

不便さを受け入れ、里山の豊かな食を満喫

町内にスーパーはなく、町内唯一のコンビニは24時間営業ではありません。買い物は隣の神辺町で週1回、まとめ買いが基本です。しかし、「そういう環境になってしまえば意外と困ることもないんです」と咲季さんは言います。

瑛一さんも「東京では、手に入る食材のバリエーションが少ないんですよね。でも今は、近所の道の駅に行けば都会では見かけない山菜や、高級なシャインマスカットなどが手頃な価格で買える。移住前はレシピを見てから買い物をしていましたが、最近は道の駅で出会った旬の食材から献立を考えることもあります。都会のようにすぐ買い足せない分、今あるものを楽しむようになりました」と、田舎ならではの食の豊かさを楽しんでいます。

また、移動には自動車が必須。ペーパードライバーだった咲季さんは、東京で半日講習を受けてから移住したそうです。「最初は山道の狭さやカーブに驚いていましたが、今では何とも思わなくなりました(笑)」。

人間らしい暮らしと文化に心が満たされる

賃貸アパートがほとんどない神石高原町。二人は会社が購入した築10年ほどの木造2階建て住宅に住んでいます。「きれいな一戸建てで、薪ストーブも付いていて、山暮らしの良いとこどりですね」と瑛一さん。子育て世帯も多い落ち着いたエリアで、同世代との交流もできるといいます。咲季さんも「自宅から満天の星が見えるところがお気に入り」と微笑みます。

「山や空の色で季節を感じ、庭で花を育てて、暗くなったら眠る。そういう“人間らしい生活”ができることに満足していますし、東京では分からなかった自然のルールを知っていくのが楽しい」と咲季さん。瑛一さんも「冬の寒さは厳しいですが、だからこそ薪ストーブの暖かさや香りに癒やされますね。窓を開け放して、陽だまりに包まれながら昼寝をする時間にも幸せを感じます」と話します。

また、外食やショッピングなど消費活動が中心だった東京の生活に対し、神石高原町では地元の有志が「みんなで楽しもう」と、損得抜きでホタル観賞会を開き、鮎などを振る舞う姿に感動したという瑛一さん。「こういう風景や文化を守るために自分たちの仕事があるんだと感じ、もっと地域のために頑張っていきたいと思いました」。

「東京にはあったのに、神石高原町にはないもの」にとらわれず、「神石高原町にあって、東京にはなかったもの」を満喫している二人。都会からやって来る移住者を温かく迎える風土や、20代の若者が思い切り挑戦でき、しっかりと収入も得られる企業があるまちだからこそ、不便さもある里山暮らしを心から味わう余裕が生まれ、充実した暮らしにつながっているのだろうと感じました。