一つ前の移住者の声で紹介させていただいたの岸本さんと同郷だったという豊田さん。その頃は友達の友達という顔見知り程度だった二人が、神石高原町に移住し「(有)神石モータース」でもう10年も一緒に働いてるとは何の因果か・・・。
前述の岸本さんが移住してから1年、ちょうど仕事を辞めていた豊田さんの元に岸本さんから「神石高原町の冬はスタッドレスタイヤが絶対に必要なんで、年末の繁忙期1週間バイトに来ないか?」とお誘いが。元々田舎にも興味があった豊田さんは二つ返事で神石高原町へ。これがきっかけで、岸本さんの人間性にも改めて共鳴し、「好きな仕事もあるわけだし、どうせ寒いなら雪が降る方がいい!」と神石高原町への移住を決意。そして気がつけば、10年の月日が流れることに。
この10年で豊田さんにも大きな変化が・・・。そう、奥様里沙さんとの出会いです。
東京の美術大学を卒業した里沙さん、「田舎の山の中の暮らしをやってみたい」とちょうど募集があった『神石高原有機農業塾』に申し込んで神石高原町へやってきました。そして有機農業を行っている神石高原町を中心とした生産者と、食にこだわっている消費者と一緒になって、生きて行くために一番大切な『食』について真剣に考え、集い、後の世代が楽しく夢を持って生きられる世界を守る活動を行ってきました。神石高原町は無農薬野菜の生産者も多く、安心して食べられて美味しい野菜を手にすることができるのも大きな魅力。そんな神石高原町に惹かれて、里沙さんも気がつけば5年を過ごしていました。
そんな中、周囲の紹介で出会った豊田さんと里沙さん。一昨年の3月には岸本さんの奥さん恭子さんの企画で手作りの披露宴を地元の人を集めて開催しました。
神石高原町では昔は家で披露宴をしていたそうで、地域の人が総出で手伝って、年配の人が色々なしきたりを教えたりと近所をあげて宴を行っていたそうです。それを再現するかのように、ウェディングドレスの刺繍は地元の裁縫が得意なお母さんが、ヘアメイクも近所の美容室で、当然会場作りやビデオ撮影もご近所の皆さんが得意を活かして全面的にお手伝いした本当の手作り披露宴は、二人だけでなく関わった人みんながハッピーになれ大成功だったとか。
このような地域全体で祝福し新しい家族の誕生を喜び合える環境は、この世知辛い世の中ではなかなかありえないのかもしれませんが、少子高齢化の波にもまれる神石高原町では未だに存在するのだと、感動を覚えました。
そんなお二人に1年後にはお子さんも誕生。これで神石高原町の子育て世代の移住促進の成功事例がまた一つ増えることになりました。
夫婦揃って神石高原町にはご縁が元々無かった二人が神石高原町で出会い、周囲の皆さんから祝福され共存しながら新しい家族を作って定住していく。典型的な移住の成功事例を見ることができた感動的なインタビューでした。