先輩移住者の声

上川暁人さん(1982年生まれ)

上川暁人さん (1982年生まれ)

移住時期:2013年

職業
移住前:10年前に福山に帰ってきてJA福山市⇒移住後:神石高原町で働きたいと神石郡森林組合に入組
住まい
2016年子どもが産まれるのを機に現在の2世帯住宅でご両親と同居
家族構成
ご両親と奥さんと3人の女の子の7人暮らし
上川暁人さん(1982年生まれ)

元々神石高原町で生まれ育った上川さん。今の穏やかな風貌からは想像つかないですが大学まではガッツリ体育会系のラガーマン。
小学校の時に出会った先生の影響でラグビーを始めて中学もラグビーに没頭し、なんと高校はラグビーで広島市内の強豪校に進学したことから、15歳にして親元を離れての寮生活をスタート。当時を振り返って「高校から親元を離れて親の有り難みがよく分かったし、好きなことを常に後押ししてくれた両親には感謝でしたね」と上川さん。
その後、高校もラグビーを頑張り関東の大学へ推薦入学し大学卒業後は関東で就職したため「いつかは神石高原町に戻るんだろうな」と思いながらも、結果的には中学卒業から約15年も神石高原町を離れることに。

上川さんは3人兄弟の末っ子。その二人のお姉さんも広島市内に嫁いで神石高原町を離れてしまった。「姉二人だけじゃなく、同級生もほとんどが神石高原町には残っていないし、福山市内とかに住んでる子も多いですね」と上川さん。
そんなこんなで多くの若者が神石高原長を離れていく中、上川さんは逆行して10年前に関東から地元に戻ってくることに。「いつかは戻るつもりだったし、そろそろ地元で働きたいと思って・・・」JA福山市に転職。そして30歳の年に奥さんとも結婚しプライベートも充実と思いきや上川さんの中で、気持ちの変化が生まれます。実はJA福山市は福山市と府中市と神石高原町が管轄エリアと広く、金融機関の側面もあるのでエリア内での転勤も頻繁。結婚3年目に,より地元に貢献できる今の職場「神石郡森林組合」に就職。町営住宅に居を構え15年ぶりに神石高原町の住民に復帰を果たします。

神石高原町にとって,林業は欠かすことのできない産業。神石郡森林組合は就業機会を積極的に創出することで,まちの活性化に貢献されている。森林の保全や人工林の間伐,境界の明確化など,森林に関する多彩な業務を行っている。
神石郡森林組合で上川さんは最初は現場の山仕事に従事し「もともと体育会系だから、しんどいけど楽しかった!」と。今は一転、補助事業の経営計画のサポートなど事務仕事に追われる毎日。「地元に直接貢献できる仕事だし、転勤がないから定年まで頑張ろうと思える職場です」と神石郡森林組合の仕事に充実感がみなぎる。

そんな上川さんの神石高原町への完全Uターンを喜んだのはご両親。上川さんの最初のお子さんの出産のタイミングで二世帯住宅を建て同居も決意。そのタイミングでお父さんは長年携わってきた自営の土木関係の仕事からも思い切って引退し、後継ぎの長男を迎え入れることに。ご両親にとっては、孫まで授かっての息子の神石高原町への帰還が本当に嬉しかったのは間違いない。
上川さんも「じいちゃんの畑仕事の横で、孫が土遊びできる環境は素晴らしい!」と二世帯住宅での三世代同居を喜んでいる様子。

上川家のガレージには、お父さんの趣味のレトロなフォルクスワーゲン・ビートルと、これまたレトロな上川さんの愛車ランドクルーザー70が鎮座していて、なかなかの迫力。
「まだ、子どもも小さいし庭でBBQしかできてないけど、昔は父親にキャンプに連れて行ってもらってたから、これからランドクルーザーに荷物を詰め込んで三世代でキャンプできたらいいな!」と夢も広がる。

元々住んでいた上川さんは,久しぶりに帰ってきた田舎暮らしについて「まず、自分勝手ができないですよね!」と。田舎暮らしは周囲と関わらざるを得ないし、ご近所さんは運命共同体。草刈りも自分のエリアをサボってしまうと、ご近所に迷惑をかけるから、必要以上にキッチリやる。休みの日も消防団や体育委員の役員仕事に駆り出されたり、祭りや行事の付き合いも多い。でもその分、子育ても地域の人たちで関わってもらえるし、困った時はみんなで助け合う。特に葬儀や結婚式は都会と違ってご近所の協力なくしては成り立たない。
これから田舎の移住・定住を考えてる人には「そんな田舎独特の暗黙のルールを察して周囲の人々と関われるかが鍵」と上川さんからのアドバイス。「ある意味見守ってもらってるけど、ある意味プライバシーはないのが田舎暮らし」と少し考えさせられる一言も。

15年離れた神石高原町にUターンで帰ってきて、最終的にご両親との三世代同居を決意した上川さん。都会では孤独死や共働き世帯の鍵っ子問題等、核家族化による社会問題が顕著になってきている中、「親世代も息子世代もWINWINとなった理想的な事例だ」と感じさせられたインタビューとなりました。