先輩移住者の声

田邊恭子さん(1986年生まれ)

田邊恭子さん (1986年生まれ)

移住時期:2015年

職業
移住前:青年海外協力隊員⇒移住後:神石高原町地域おこし協力隊を経て現在専業主婦
住まい
家賃20,000円の畑付き1軒屋を住宅改修助成金を活用し改装。
家族構成
ご主人とお子さん二人の四人暮らし
田邊恭子さん(1986年生まれ)

恭子さんは東京都出身。ご主人の圭さんとは青年海外協力隊で出会い、一緒に中央アジアのスイスとも呼ばれるキルギス共和国に派遣されたと異色のご縁。
学生時代から海外志向が強かった恭子さん。アメリカの短大を卒業され販売員として2年東京で働いていた頃に発生した東日本大震災をきっかけに退職し、学生時代から考えていた「海外でいつかは働きたい」という想いを叶えるため青年海外協力隊に入隊されました。
2ヶ月間駒ヶ根での語学研修で言語や文化を学んだ後、恭子さんが希望していたキルギスの青年海外協力隊4次隊として派遣されることになりましたが、派遣された4人の中に後にご主人となる圭さんが居たと言うのが出会いだったとか。
実は圭さんは当初パナマやセネガルへの派遣を希望されていたそうで、キルギスの農業隊員募集のタイミングが違っていたら無かったご縁かもしれません。

キルギスは旧ソ連から独立した土地全体の40%が標高3000mを超える山が美しい国。首都のビシュケクも標高800mにあり、夏は40度、冬は−20度を記録することもある寒暖差が激しい地域。
お二人の仕事の内容が違うため派遣地は別々のエリアに。いずれも首都まで車で数時間かかるエリアに派遣され、恭子さんは主婦に仕事の場を提供することで女性の経済的自立支援を行うことを目的とした村落開発普及員として標高2000mの村に、圭さんは大学で学んだ農業を活かすべく農業隊員として標高1700mの村に派遣されました。

そこで2年間地域の人々や文化と触れ合いながら活動し、異国の地で離れ離れの生活をしながらも愛を育んだお二人は、帰国後
圭さんが神石高原町出身だったことから神石高原町に移住して結婚されました。

神石高原町での恭子さんのお仕事は、青年海外協力隊の延長線上の感覚で、様々な地域に入ってやりたいことを探すことができる「神石高原町地域おこし協力隊」に参加。
東京のOL時代のネット販売やデザインのスキルを活かして、神石高原町の移住希望者に向けたチラシ作成やイベントの手伝い、観光協会のお手伝いもされたのだとか。
そんな中待望のお子さんを授かり退職し、現在は専業主婦として4歳の娘さんと1歳の息子さんの子育てに奮闘されています。
大都会東京都出身の恭子さんですが、さすがキルギスへの派遣を経験されているので「キルギスに比べたら神石高原町の方がモノが揃ってて、全然困らない」とのこと。
神石高原町は子どもをのびのび育てられるし,東京での子育ては考えられません」とも。

近所との関わりに関しても「キルギス人の方がヅカヅカ踏み込んで来るから全然気にならないし、逆に見守ってもらっている感じでありがたい」と距離感の近さも気にならない様子。

一方の圭さんは、帰国後紛争や災害などの脅威にさらされている人びとに対して支援活動を行うNPOに所属し、緊急災害支援レスキューチームとして活動中。
各所から集めた支援物資の管理や発送をはじめ、昨今国内で頻発する災害の被災地へ派遣されるなど活躍されています。
将来的には「今以上にNPOと神石高原町を繋ぐ役割を果たしたい」と圭さん。神石高原町にとっても頼もしい人材です。

神石高原町での生活を気に入られているお二人ですが、神石高原町のネガティブポイントを聞くと「インターネット環境がもう少し快適だといいんだけど」や「車が運転できないと、辛いかも」とのこと。
やはりキルギスの山国での過酷な暮らしを経験してきたお二人だけあって、田舎暮らしの不便さは、あまり感じていない様子。

最後にこれから神石高原町へ移住を考えている人へのアドバイスをお願いしたところ、
「あれこれ細かいことを気にする人は難しいかもしれないけど、寛容にやっていけば大丈夫」と恭子さん。
「子育てや教育環境を気にする人がいるかもしれないけど、子育て支援は充実してるし、オンラインで教育もカバーできるから問題ない」
「食べ物は本当に美味しいから、これも魅力」とも。

キルギスでの生活を経て神石高原町へ移住されたお二人だからこそお聞きできた、有意義なインタビューとなりました。