先輩移住者の声

河野弘樹さん(1988年生まれ)

河野弘樹さん (1988年生まれ)

移住時期:2019年

職業
移住前:東京で俳優の仕事をしながらフラワーデザイナー⇒移住後:オリジナル革製品のデザイン製作
住まい
小野地区の家賃16,000円の一軒家
家族構成
妻と二人暮らし
河野弘樹さん(1988年生まれ)

河野弘樹さんは、いかにもクリエイターと言うイメージの風貌。神石高原町に移住する前の東京では、芸能事務所に所属し俳優をしながらフラワーデザイナーとしても活躍されていた生粋のアーティストだったとか。
更に河野さんのお母さんは、かの有名な『劇団新感線』の立ち上げメンバーでもあり、芸能界に関わりのある芸能一家に育ったのも納得できる。
フラワーデザイナーとしても、ラスベガスのフラワーショーにも参加経験があり、周りが世界チャンピオン達ばかりの素晴らしすぎる環境で刺激を受ける日々。海外からのアーティストが来日する時はそのアシスタントも務めることも多かったそう。
その後も東京の一流ホテルにショップを構える日本のトップショップを渡り歩き、指導者として一時は外部講師まで行うレベルのフラワーデザイナーとして活躍されていた河野さん。
ところが、突然菊のアナフィラキシーショックを発症してしまい、フラワーデザイナーを辞めざるを得ない状況に・・・

そんな折に友人のフラワーデザイナーから「フラワーデザイナー用のシザーケースってホント無いんだよね。作ってくれない?」とオーダーが。
それを契機にナイフケースやウォレットも作るようになり、いつの間にか革職人になっていたと言う河野さん。
もちろん、お客様の大半は元フラワーデザイナーや芸能関係者。昔からの人脈もしっかり守って繋げているところが河野さんの強みと感じる。

そんなフラワーデザイナーから革職人に見事に転身した河野さんに4年前、また転機が訪れます。
高校時代に同じクラスで同じ班だった旧友の村上さんから「俺、結婚を期に神石高原町って言う町に移住して映像クリエイターやってるんだけど、こっちに移住しない?」
そんな突然の誘いに河野さんはあっさり引き受け、当時すでに付き合っていた元フラワーデザインの教え子でもあった彼女と一緒に移住を決断するに至ります。
もちろん移住エリアも村上さんが居を構える神石高原町の「天空の里」と呼ばれる人口100人ほどの小さな集落小野地区。標高500mの高地なので寒暖差がありコシヒカリも野菜も抜群に美味しい。
この小野地区を河野さんに言わせれば「日本政府から切り離されても自給自足の弥生時代のような生活ができる小野共和国」だと。米、野菜、果物だけでなくジビエもふんだんに穫れる。水も井戸水がいくらでもあるから困らない。
弥生時代生活は現実的に無理にしても、電気だって小野地区にはソーラー発電をしている人もいて、人口100人レベルなら全世帯をカバーできるそう。まさに独立国家も不可能では無いポテンシャルのエリアだ。

しかも「空き家になっている古民家に住んでいるので家賃は16,000円。東京にいたときは家賃15万を払っていたのが馬鹿みたいだ」と河野さん。経済的には豊かかどうかは別にして、精神的な豊かさを毎日感じることができるらしい。
「自分がいる意味を都会にいた時にはわからなかったけど、小野地区は少子高齢化や継承者不足に悩む典型的な過疎エリアだから、自分が移住して小野地区にいることを地元の人が本当に喜んでくれて、ありがとうとも言ってもらえる。だから、僕もありがとうと言う言葉を自然に言えるようになった」とも。
移住当初、ライスセンターで週2回程バイトしていたのが繁忙期はいつの間にか毎日働くようになったり、また73歳の猟師さんの仕事を手伝っていたら「猟銃の免許を取得したら銃とガンロッカーを譲るよ!」と言って貰える程信用を得たり、どんどん小野地区に溶け込んで行く河野さん。
「ジビエの中でもアナグマが一番美味いんですよ!知る人ぞ知る高級食材です」と猟師の顔も覗かす。革職人として、猟師さんから皮をいただけるし、更に買取代を払ってもらえる上に、畑を荒らす猪等の駆除にも一役買える。
そんな今の自分を『狩猟採集農耕系革職人』と表現する。そして「ふるさとが手に入るし、生きることにシンプルになれる。興味を持った人は来たらいい!」と満足げに話す河野さんの表情は実にイキイキしている。

そんな素敵な神石高原町小野地区に合わない人について聞いてみた・・・
「草刈りは必須な仕事。やらないと地区に迷惑もかかるので、共同作業ができない人は向いていない」
「自分優先の人は田舎暮らしは合わない」
まさにその真逆にいる河野さんが言うと妙に説得力がある。

続いて、小野地区の問題点を聞くと・・・
「まだ住める家をうまく継承できる仕組みがない。人が住まなくなると1年で雑木林になり、3年で山に返ってしまう」
「都会に住む親族が別荘にすると言って相続すると、まず家をダメにしてしまう」
「小野地区で子育てしたいけど、小野地区が存続するかが一番不安」とも。
そう言いながらも、インタビュー後の2021年1月に念願の彼女との結婚を実現した河野さん。
村上さん、河野さんに続く、若い夫婦の移住者が増えることで、小野地区を継承し存続させるのだと痛感するインタビューとなりました。